Origami Art

 両性の協調・調和・協力によって、素晴らしい世界を創造していく、そのような祈りを込めて作った作品。

 例えば、私の右手と左手が協調・協力することで、さまざまな日常生活の行動をすることができます。私の右手と左手は、ケンカをしたり、争ったりはしません。右手と左手、その存在価値が、どちらが上で、どちらが下、どちらか一方が優れていて、もう片方が劣っている、そのようなことがあるでしょうか?一枚の紙を扱うにしても、両手が協力することで、さまざまな形を表現できます。

 例えば、左手で紙を押さえて、右手で折り目の線をきれいにつける。右手と左手で、作業の役割分担はあることでしょう。例えば、ピアノを弾く時に、右手と左手で、担当する音域にちがいがあるように。作業の一つ一つの工程で、右手と左手の美しい交流と協力がなされます。

 私の右手は左手に感謝し、喜びを伝えています。私の左手は、右手に感謝し、喜びを伝えています。その作業がさまざまに繰り返され、蓄積していき、作品ができあがります。そして、また、そのようにして、私の日常の生活の行動は成り立っています。そのような考えにもとづき、私という存在が、素晴らしい世界を構成している一部であり、もし、仮に、その世界の右手の部分を自分が担当しているとしたら、私は左手と協調・協力することで、喜びと感謝を伝え、世界をより豊かにしていきたいと思うことでしょう。

 作品の中の物語、それを子どもたちに伝える、というのはきっと楽しいことでしょう。例えば、ベアトリクス・ポターの「ピーター・ラビット」が世界中の子どもたちから愛されるように。私自身が表現したいものを我慢するのではなく、私自身が描きたい光景をつくってみよう、と意識してして出来上がった作品。
 自分の心の中にある光景を表現することを諦めたり、我慢して、「単なる紙工作」をしているだけでは、なんだかつまらない、物足りない、と思っている自分に気づけたことがサプライズだったのです。
 おりがみ〜紙工作による造形表現の手軽さと制約とを感じながらも、今、できる範囲で追求してみました。高みを目指し、向上していく。 そのプロセスにも、完成した時にも、それぞれに喜びを感じるのです。 一つ一つのパーツが簡単でも、そこに自分なりの意味を持たせ、自分が表現したいものを短時間で表現できれば、持ち時間を効率的、効果的に利用できる。そう考えました。一つの一つのパーツの難易度を上げることにはこだわっていません。
 素晴らしい宇宙ネットワークシステムを表わすシンボル、日輪の車輪が回り、四季折々の美しい調和の世界を営み、めぐらす人が住む家をイメージ。完成は終わりではなく、一つの節目、次に進むための、自己確認。どんなイデアの世界に住み、どんな関わりとコンタクトをとっているのか。改善、進化、工夫、発展のための足がかりを得ていく、素晴らしい世界との絆をより強く、より豊かにしていく。私たちの未来が明るく開かれていくことを祈って。

 水平線上に太陽がある時、水平線の上なのか、下なのか、そういうことにこだわる人がいるかもしれませんが、私自身は、上とか下とか、位置は固定されたものではない、と考えていて、くるくる回りながら、360度の位置を体験する、あるいは360度の角度で景色を見る、というように考えています。この星が自転、公転しているように。アニメーションで表現するなら、そういう表現をとることでしょう。2次元の平面での表現だと、位置が固定されているように見えてしまうけれど。いろいろな角度から物事を見る、直接的、間接的に経験して、内省、推敲を繰り返しながら、中心を鍛えていく。そして、サークルの調和、協力、共鳴のクオリティをより良く改善していく。この作品が出来上がった日の夜に、愛猫が天国へ旅立ちました。まるで、この作品を作るまでの私のプロセスを導き、見守り、支え、同伴し、完成を見届けた、とでもいうように。(愛猫”アジュールAZURE”の物語)

 水平線上に光りが輝き、まっすぐに自分のもとに向かってくる、そんな光景を30歳の頃に見ました。ヨガのアーサナをした後、横になってリラックスし、目を閉じ、海辺の光景をイメージしていた時のこと。そのまばゆい光の存在は言いました。「私はもう十分癒やされました。だから、あなたは、私のことを癒やそうとする必要はないのです。私はこれから行くべきところがわかりました。あなたは、あなた自身の道を歩んでくださいね。」と。わたしたちは、協力しあっている、離れているように見えても、それぞれの道を歩いているように見えても、そんな風に私は感じているのです。私は、この時の内的体験~見た光景を「私自身の道 My own way」というタイトルのパステル画の作品にしたのですが、その作品は今はもうありません。ですが、私は、心の中でずっと自問自答してきました。「”私自身の道”とは、はたして、どんな道なのか?」と。

 雨上がりの空、清められた大気がキラキラと輝いて脈打っている。川の流れとなって、雲、雨水となって水が循環しているこの星。木のフェンスをつたい咲く朝顔の花を車輪、蔓はネットワーク、手をつなぐ人々は協力、手の持つ傘は、古くて忌まわしい固定観念からの自由、自由を得るための精神的な自己努力、勇気や行動力という意味を持たせて制作。(雨が降った時、傘をさすのは女性、という固定観念・風習を克服した最初の一人の男性がいて、その後、それが次第に広まって、やがては普通に男性も傘を使用するようになった、というエピソードを知って。)

 便利な道具xがあり、それを使うのは男性(女性)、それを使わないのが女性(男性)、というような固定観念は、時代や文化、地域によって、さまざまにあります。また、それを克服した人々もまた存在しています。    そうした人々の努力、一歩一歩の歩みの尊さに私は思いをはせるのです。

 私たちは、先人たちの努力の恩恵をどれほど受けていることでしょう。高い目的の実現のために努力していく、そのプロセスでの一つ一つの節目は、<終わり~絶える>、ではなく、<終わり~新しい始まり>へ、とつながっていくはず。新たな境地を得て、よりふさわしいステージに身を置くことが可能になるはず。そのように私は思うのです。